今冬は列島を寒波が襲い、とても寒い日が続いておりますが、新年が開け2018年が始まり、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私達、空手道禅道会では年末より、北海道、東京、大阪など各地で年末のMMA格闘技大会が開かれ、禅道会選手が大活躍しており、厳しい寒波すら忘れさせる様な、MMA格闘技の熱風が吹いておりました!
その中でも、フジテレビ系列にて放映され毎年恒例のお茶の間の話題となる、大晦日MMA格闘技大会「RIZINーライジンー」に、禅道会 豊橋(愛知県)支部所属(出身?)朝倉 海 選手が出場して見事のKO勝利を納めたことは2017年度の最大のニュースではないでしょうか!! TVにてご覧になられた方も多いと思います!
そこで、その朝倉海選手の育ての親とも言うべき、空手道禅道会 豊橋支部 宮野勝吉支部長にインタビューをさせて頂きました!
その内容はまさに、MMAの歴史そのもので、更には空手道指導への思いや朝倉選手へのメッセージも頂きました!!
[プロフィール]
宮野勝吉
空手道禅道会 参段位 師範代
飯田出身
中学生より武道空手道を初める禅道会最古参の一人。
指導者としては全日本王者、プロMMA選手、「RIZINーライジンー」ファイターを育てるなど、名伯楽として有名。
また現役時代には某有名フルコン系空手や某有名MMA系空手の全国大会、更には禅道会の全日本RF大会の基礎となる”ヴァーリトゥード実験マッチ”に参戦され、優勝、準優勝など数々の高い実績を誇る。(86年〜96年)
略歴
中学1年から武道空手道を始め、中学三年頃にその後の人生を決める運命の出会いと言うべき、当時大学生の小沢首席師範(以後、小沢先生)と出会うことになります。先輩の竹村指導員(長野県飯田市 鼎道場長)が小沢先生と知り合いだった事から、稽古を付けてもらおうと志願、初めてみる本物の実戦空手家である小沢先生を一目見て、身体のデカさにまず衝撃を受けました。
飯田市の風越寮体育館をお借りし、基本、移動稽古、筋トレ、スパーリング、型を行う。そしてその体力差、技の威力凄さに驚愕し実戦空手家の道を志すと決めました。
その後も、自主稽古を続け小沢先生が夏休みに帰省する度に指導を受けさせて頂き、そして、学力も高かった宮野先生だが、実戦空手の道を志すため小沢先生の稽古を受けたいがために、飯田市に留まる事に決め地元の工業高校に進学する事に。
その当時はマンガやテレビなどでももてはやされ、日本中が空前の実戦フルコン空手ブーム時代でした。
しかし、進学した工業学校には実戦空手部ではない空手部しかないが、小沢先生との出会いで実戦空手をやりたい!と情熱が沸き上がり、自らが工業高校内で実戦フルコン空手の同好会を開設に奔走、ところが、マンガの影響でかその頃は空手=ケンカ(漫画の影響)で印象が悪くて、全ての先生に断れられました。顧問がみつからず途方に暮れている宮野青年の情熱に担任の先生が名乗りをあげ手頂けた事で、正式に実戦フルコン空手部が開設する事ができました。担任の先生は本当に感謝しております。 これはインタビューしての推測ですが、当時の宮野先生の受けた衝撃は実戦空手への情熱にかわり、それが波のように顧問の先生の心にも伝わったのだろう。その情熱は部内の道場生13人にも伝わり熱気あふれる稽古が続いたと思われます。
その後も空手稽古を続ける事を中心に生活を考えていたため、大学進学も就職も飯田市にこだわりました。
小沢先生が、飯田市にて本格的に道場を構え、空手道禅道会の前身となる某有名実戦空手団体の飯田支部を開設。小学校体育館で道場を開始したのですが、この時初めてMMAを知ったので、今まで続けてきた実戦空手にはなかった、”顔面打撃あり”に衝撃を覚え、これは全く”別物”だと実感しました。
更に情熱は燃え上がり、「武道空手道が実戦格闘技をうたう以上、実戦でボクシングやその他の格闘技にまけたのでは、武道空手道をやる意味がない!」と強く想い、実際にMMA空手を経験する事で、これまでにない衝撃に打たれ、「これぞ!自分が追い求めた地上最強の空手だ!!!」、パッ!と雨が晴れ青い空が見えた様に!一気に世界観の広がりを実感しました。それはこれまで、実戦空手をやっていたなかで「ケンカでは負けるのでは?」と心の奥深くに内在されていた不安の雲が晴れた思いでした。それもつかの間、今後は顔面ありでの攻防が恐怖をともなう様になるのですが・・・
情熱が止まらないなか、MMA空手の稽古を積み、小沢先生が出場する大会に同行し、そこでまた衝撃を受けました。
MMA空手大会の試合が始まると、これまでの実戦フルコン系空手の試合とは会場の緊張感さえ違った様に感じ、選手の身体つきや、技さえも違って見えました。
試合の方では、顔面あり、組投げありでバタバタと人が倒れるのをみて、「うぉー!!」っとなんとも言葉に表現できない本物の肌感を五感の全てで感じ感動し、そして、その圧倒的な強さを誇る選手たち、そして小沢先生に、猛威を振るう大自然への恐れと敬意の様な「畏敬の念」を感じさえもしました•••••
その後、その感動や情熱を燃やし、MMA空手の稽古に勤しみ大会にて試合にも挑戦する事になりますが、稽古では確りとした手応えはあるにも関わらず、試合ではあまり勝てず、良くて二回戦負けという結果が1,2年は続く•••••
それでも”世界最強の空手”に出会った衝撃から情熱を帯びる志を胸に稽古にひた向きに励み茶帯になったそんなある日の稽古中、移動稽古で無心に励んでいる一瞬に”はっ!と”閃いたんです。それから自分でも驚くほど考え方や稽古の動き、技の威力さえも飛躍的に変って、まるで悟りの様な”体感覚”を得たのです。
それはとても言葉では表現が難しいのですが、あえて言葉にするならば、「様々な技などに対する考えや体感覚、甘えや負の感覚を一切捨て去る(我を捨て去る)無になる感覚」を身体感覚として得たのです。
その”無の感覚”を試合でも体現できるようになり、その年の飯田市で開催された空手大会(100名を超える大会!)にて、当時62kgだった私が軽量級トーナメントを制する。そして迎えた決勝戦(この頃の空手大会は決勝は軽量級王者と重量級王者が対戦する無差別試合をしていた!)、重量級トーナメント覇者のフルコン系空手の関東チャンピオン90kg(元フルコン空手2段)、さらにフルコン空手ルールという大きなハンデを背負うも、試合が始まった瞬間に相手の事を直感し、「相手の技は押す系だ、距離を詰めてさらに相手の技の威力を殺し、左にまわり下突き、肩うち(フック)さらに左に回り下段だな」とそのまま動き、そのコンビネーションが炸裂!これまで稽古してきたMMA空手のセオリーの様な戦いで優勝、昇段しました。
さらに、論理的な戦闘方法を高めるため、スパーリングや試合の中からの直感と閃きで技を習得していき、更にはタイ国にてムエタイ修行、首相撲や組膝蹴りなどを習得し、これまでの空手の技からの流れに加え、ムエタイ修行にて蹴りの使い方、腰の戻しなど技術的にとても向上できました。
更には、アメリカで世界中の格闘家が集う異種格闘技大会「UFC」が開催され、当時同門の選手が出場するも、ブラシル系柔術の使い手に破れ、寝技にも力を入れる事になります。しかし空手=打撃という固定概念もあり、アンチ寝技派もおり同じ道場内でも個人の好みや特色の多かった時代であったとおもいます。
その当時は全ての”技”というもの事態をどれが強いのか、使えるのかなど自らが取捨選択していく時代で、まさに、現在の総合格闘技の完成までの歴史を生きてきたのだと改めて実感いたします。
その後もMMA空手の道に邁進するため、飯田市に住居をこだわり空手道 禅道会 総本部にて稽古を続け、後進の指導にもあたる様になっていきます。
当時は、現在の全国の支部長やプロ選手として活躍する選手が稽古に沢山きており、名実共に実力者達がシノギを削っていたんですよ。
その後は、主に後進の指導が中心になっていき、今に至ります。
指導者として
相手に合わせた指導、伸ばす指導がベストと考えています。相手がひとりひとり違う、またそれを押さえつける指導では個人個人の才能までも押さえてしまう可能性があると思うんです。そのため、個人個人に合った理想の指導を見つける為、体現する為にも、あらゆる相手にも局面でも、無になる為の自分の稽古も怠らずに行う必要があると実践しています。
※指導についての考え方や指導などとても論理的で興味深いので以下にまとめさせて頂きます。
第一は礼儀、(返事、言葉使い、挨拶が大事)
空手は武道なので、無にならないと強くならない、無になる為の第一ステップが礼儀です。
好きな相手にも、嫌いな相手にも甘えや自我などを捨て去る無になる事で更により良い自分になる為の一歩なのです。
(挨拶や言葉使い弱いところがすぐわかる)
第二は防御(トータルバランス取れた教育の為)
空手というと攻撃ばかりが目につくが空手はあくまで護身であるので、挨拶や押忍の十字切りも(道場に入る際)防御から始まっている事からもわかる様に、防御は人間の本能で、それをすればそれができれば、嫌いな相手にも、対戦相手にも心の底から畏敬の念を抱ける様になれる、そんなトータルバランスの取れた人間教育に繋がるとの想いです。
第三に攻撃
相手の、隙をつく、隙や弱点を見つける感性を養う事だと思います。(これは無になっていないとセンサーが効かない)
それは、ただの攻撃ではなく、護身、そして無につながるもので、無になる事で相手の持っている周波数をキャッチして、そこから生まれる隙に対して、どう動くかが解ってくる。
例えば、日常では自分を敵視している、嫌っている、また口論などになったさいでも、確りと礼儀と防御ができ、無になっている状態であればこそ、相手の真意に気付き(キャッチし)自分の言動や態度をその時に合った良い方法を行う事で、闘争や逃走ではなく、友人になる様なより良い関係性を築けます。それはまさに武道空手道の究極の志であり技です。
プロファイター朝倉未来君、RIZINファイター朝倉海君との出会い
始めの出会いは、兄の未来くんが私が支部長をする、空手道禅道会 豊橋支部へ電話してきました。
喧嘩に明け暮れていた彼は生意気にも「空手二段なのですが、体験させてください。」「僕より強い相手がいないので。」と言うので、「僕も空手三段だけど、多少君の相手にはなれるとおもうよ。笑」と伝え稽古にくる約束をしたんです。ここでも稽古の成果が出たと思います。
実際に稽古に来た未来君と相手をすると、格闘技の未経験だったたのでまったく相手にならず。
その人生初の敗北?がとても楽しかったようですね、正式に禅道会 豊橋支部に入門しメキメキと強くなっていきました。
そしてその後、半年くらいして未来君が「自分より才能があるかもしれない」と豊橋支部に海君を連れて来たんです。
その時の印象は学校帰りの彼をみて、静かでナイーブな内気な少年が来たな。と思いました。
私が気さくに「練習やる?」と聞くと言葉少なく、こくりとうなずく。そんな感じでしたね。
実際に練習をすると「楽しい」と嬉しそうにしていたのを今もありありと思い出します。
始めた当初からパンチや蹴りのよけ方に異常な身体能力の高さを感じたので、これはプロとして第一線で活躍できるな!と直感がありましたね。
しかし、前後の防御はいいが、横の動きに弱いので、ベンチやフリーウエイトなどをして強化するなど、確りと選手の長短を見抜き、長所は伸ばし、短所は強化させ、個人の性格も見抜き、個性に合わせた言葉使いや接し方で指導することで、楽しくどんどんと強くなっていったと思います。豊橋支部ではそのように個性を伸ばし、短所を改善する指導を心がけております。そしてそれは武道教育の根幹であるとも自負しております。
それから、豊橋支部所属として空手道禅道会の審査会や交流試合にも出場してみごと優勝。大きく成長してくれました。
それからはプロ選手として「MMAをやりたい」との本人の意向から、2012年のディープインパクトに出場し、伝説の1R52秒KO勝ちという脅威の兄弟KO勝利でデビューを飾ってくれました。
その時のMMAプロ選手としてのデビュー戦の際に、会場の雰囲気の変化を感じ取り、「今後のMMA界を背負う逸材」だ。と直感したので、本人の趣向に合わせて、MMAジムの様な特別練習を追加で行う事にしました。 私がそんな逸材を見出しそして、指導できる事に本当に指導者冥利に尽きると感じます。
初めてから最初一年で基本稽古、移動稽古をみっちりと指導してきて基礎を身につけている事は実感していたので、その後のMMAプロ選手としての才能、実力を伸ばすべくディフェンスを意識した、ミットやスパーなど動的稽古と、身体の体幹部を強化し確りとした地力をつけるトレーニングを行う事で、その後の更なる飛躍の原動力となったのは言うまでもありません。 以下がその時の簡単なトレーニングメニューです
空手道禅道会 豊橋支部
特別メニュー
- ストレッチ(空手道禅道会式)
- 基本稽古(空手道禅道会式)
- 受け身エビ腹ばい
- 動的ミット
- スパーリング
- 追い込み(ラダーとか体幹トレ、ロープ、サーキット、ウェイト)
- 週4回と自主トレでほぼ毎日
(個人的にはボクシングジムに週一で行っていたそうです)
RIZINファイター朝倉海くんへ
RIZINという世界的に見ても格闘技の大舞台に上れる様になった事、本当におめでとう。
そんな海君の試合をみて、「俺もやりたい!ああなりたい!」と目標になる様な選手になってほしい。
まだまだこれから大きく、格闘技者としても、人間的にも大きく成長を願っています。
そして、これからも兄弟協力して頑張って下さい。
今後の抱負
武道空手少年クラブには沢山の宝があります!今後は空手道禅道会の更なる普及を目指して精進して参ります。
また、押さえつける指導ではなく、伸ばしていく指導を心掛け、今後も第二第三の朝倉兄弟を世に出していきたいです。
これを読んでご共感下さった方は、ぜひお気軽に空手道禅道会 豊橋支部へご連絡下さい。
空手道禅道会 豊橋支部
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愛知県豊橋市藤沢町46
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